白い少女
一人の少女に出会った。
何も見えない世界だと思っていた。
だけど、僕には一人の少女がはっきりと“視”えた。
少女は、人生に、日々の繰り返しに飽き、落胆していた僕にはとても神聖な姿に思えた。
昔、「白装束」なんて集団がニュースになったことがあったが、まさにそんな風合い。
シルクなのだろうか、そんなような生地を使って作られたような、真珠のごとき真っ白な服。
昔、小学校の給食当番のときに何度も着たことがあったか、見た目はそんなような、一見汚れとは無縁そうな清潔な「白衣」。
もしくは……こういうものは「ワンピース」というのだろうか、ほぼ全身が一枚の真っ白い布で出来ている服。
そして何より、その小さな頭にちょこんと載っかった『麦わら帽子』。
少女が着ている服と、その上、頭の上に載っかっている帽子とのギャップに少し、不謹慎ではあると思ったが、反射的に頬が緩む。
「天使」だと思った。
生まれてから今まで、僕は天使など一度たりとも見たことがない。
いや、僕に限らずそれは全世界の人々全員にいえること。
だからこそ、時代に流され妙な先入観が出来ていたはずだ。
「天使」なんていない、と。
そのイメージだけは誰しもが持っている。
誰しもが、理想の天使像というものを持っているのだ。
それはきっと、美しくて綺麗で、人間の目に入れるにはもったいなさ過ぎる存在にさえなっているかもしれない。
けれど、天使のイメージにそぐわない格好でも、僕は少女を天使だと思えた。
麦わら帽子が、宙に浮く天使のわっかだと思えた。
この広い、暗い暗い闇の世界に差す、一筋の光だと思えた。
僕は天使の、その吸い込まれてしまいそうなほどに透き通った瞳をじっと見る。
はたして彼女は僕の、この陳腐な瞳を見てくれているだろうか……。
「…………あのっ」
「…………」
僕は天使に声を掛ける。天使は口を開かない。
まるで、答える必要などないと、無言で答えているかのように。
もう一度。
「……あの、聞こえてます?」
「…………」
再びの沈黙。だけど僕は諦めない。
なぜか、諦めたらそこでおしまいな気がした。
「……聞こえてますよね? まさか聞こえてないなんてことはないですよね?」
「…………」
三度の沈黙。いや、正確には四度目か。
喋ってくれない。話してくれない。口を開いてくれもしない。
でもやっぱり、諦めちゃだめな気がした。
それなら、と僕はイレギュラーに攻め立てることにする。
まだ開封していないたばこの箱をポケットから取り出し、ビニールを破き残った部分を口に当てる。
「……あー、こちらエリア61。こちらエリア61。エリア24、応答せよ。オーバー」
「…………」
「……どうした。応答せよ、エリア24。オーバー」
「…………」
「おい、どうした! 何があった! 24、応答せよッ! オーバー!!」
「…………」
「…………くっ」
応答を拒否か……。
天使には僕の声がくぐもったように聞こえたことだろう。だが、それでもこちらの声は確かにその耳に届いたはずだ。
……この天使、どうやら味方から心配を掛けさせることには慣れているらしい。
ダミーだと感付かれたか、それとも日ごろの訓練の賜物か。
いずれにしても、ここは最終手段を使う他ないらしい。
断言する。これで喋らない人間は、この世に存在しない!
「お願いしますどうかその可憐なお声を私めにお聞かせください」
両手両足を床につき、誠心誠意真心込めて、額を床にぴったりつける。
額を下ろす勢いが強すぎたか。床が少し軋んだ。天使は……大丈夫、その音には動じていないようだ。
どこからか、からからから……と鈴のような乾いた音が聞こえた。
さぁ、決まったか……!?
「…………」
これでもだめ、なのか……?
「…………」
頼む……! 頼む……!
「…………」
沈黙は……続いた。
僕ごときの力では、天使一人、歓談することも許されないのか……。
歓談じゃなくていい、せめて、せめて一言、あの言葉を言って欲しかった。
あの言葉を……。
その時、膝をついている僕の目の前に、足が二本……一人の人間分の足が現れた。
今のこの世界には僕と天使、二人しかいないとばかり考えていたから、それは僕を何よりも驚かせた。
「あ、あなたねぇ……」
顔を見なくてもわかるような呆れ声で人間は言った。
「まだその子、生まれて1ヶ月なんだけど。喋るわけないじゃない……」
僕とその人間、妻との子ども―――天使のかぶった麦わら帽子が、ちょっとだけ、小首をかしげたような気がした。
おしまい